2012年4月7日土曜日

ゆっくりあせらずあるがままに


"自分の人生から逃げます
 生きていられるまで生きてみます
 本当にすみません
 お世話になりました"

この数行のメモを残し、彼は家を出た
そして4ヵ月後、彼は遺体となって帰って来た

"何があったの" "なぜ" "どうして" "なんでなの"
"当時の彼になんのトラブルがあったのか"

"生きていられるまで生きてみます"
この大事なメッセージを愚かな母は自殺と云う事に
まったく結び付ける事が出来なかった
普通の親なら結びつけ、必死で捜し、そしてくい止めたはず
なのに私は、"やり直したいの!! 彼ならやり直すだろう"と
思ってしまい、家出された事に動揺ばかりしていた
そして 彼の家出は周りに隠したのである
彼� ��自分の心の叫びを、このメッセージにこめ
"止めてよ、捜してよ"と訴えていたのに!!
ごめんね 今更だけどごめんね 本当に今更なんだよね
お母さんまったく分からなかった 今も分からない
なぜ家出なのか なぜ自殺なのか 何があったのか
私は心配りがあまりなかったのだろうか
彼に対して私はあまりよい母ではなかったのだろうか
取り返しの出来ない決断をさせてしまったお母さんを
許してください あやまりの言葉届いているのだろうか

"お母さん 温泉の本なにかない"
"温泉の本あるよ どうして"
"今度の泊りの旅行 俺幹事だからどこか探さないと"
"あーそうか 二、三冊持って行ったら"
"これ一冊でいいよ 借りていい"
"どうぞ 借り賃たかいけど"
"� ��ー!!今から打ち合わせだから借りるね"
"飲んだら代行か友達の所へでも泊まるんだよ"
"分かってる 行って来るね"
"楽しんで来なさい 気を付けてね"
"ラジャー"と云って顔の所へ手をやり
敬礼をして笑いながら家を出て行った
2005年6月5日 PM6時半頃の事である
これが彼との最后になるとは夢想だにしなかった
いつもの調子で いつもの声 いつもの態度
全てがいつもと同じ この日は帰らず
飲んだ時は泊まる事が多いから これもいつもと同じ
次の日会社からの電話で出勤していない事を知り
彼の部屋を見るとベッドにメモがあり
彼の家出を知る事になる
私はパニックだった 何も手が付かない
彼の友人達に電話した 彼にも日に何十回と電話をする
銀行� ��カードは持って行った 通帳はあったから
やり直しが出来るようにお金を入れておいた
通帳の残高を調べる事で元気である事を知りたかった

2005年10月30日PM9時すぎ
警察から遺体確認をしてほしいとの電話が入る
何を云っているのか 私には理解できなかった
なぜなら10月20日頃彼と面接をし
採用が決まったと電話がある会社から入り、
落ち着いたら逢いに行こうと話をしていたばかりだった
車は彼のだと云う ちがうのかもしれないが
警察へ行く事にした だがその遺体はまちがいなく彼であった
車の中での排気ガス自殺 死亡推定10月20日頃との事
彼の性格を表わすように 車はきれいにスキ間なく
目張りがしてあったと云う
10月20日?あの仕事の電話� �なんだったの!!
メモしておいた用紙は探してもみつからない 今も思い出せない


ワット帽子グループジョナサン·ウェクスラーが属していない

私には彼の死を受け入れる事は不可能だった
"死んだ"と云う意味すらまったく分からない まして"自殺"ってなんなのか
ただ連れ戻さなければなんとしても連れ戻さなければ
どうすればいいのか 彼と同じになればいい
あたり前のようにそう思った そうする事が当然であり
今、私が出来るただひとつの道なのだと
そう思う頭のかたすみで 暗闇から笑いかける何かがいた
"あなたが殺したのに!!"と云う
"そうなのだろうか" "そうかもしれない" "そうだろう"
私はその言葉をうけ入れた
私は家出した彼を死にものぐるいで捜していない
4ヶ月もあったのにである
その上  周りに家出の事を隠していた
そう私は彼を見殺しにした事になる
そんな私が彼を連れ戻してあげる事が出来るのか
彼の世話を誰がするのか 私しかいないのに
一人にはさせられない そう思った時
私の体から心だけが離れ、体の動きを心が
無視しているような気がしてならない

遺体確認後の数時間で私の心が止まっていた気がする
そしてそれからの記憶は今でも大部分が曖昧なものとなる
誰かの葬儀をしている 誰のなのかは分からない
けどあたり前のように行く
正面にはなぜ彼の写真があるのかが分からない
知った顔が来るから対応している
悲しさがない 淋しさがない 涙がでない
感情がまったくない 心がじっとして動かない
そして なぜ私が生きているのか分からない
そう自分の意志に反して生きているのだ
睡眠だけ充分にあたえられて生きているのである
そんな自分がとても許せない
"私は人の体をもった悪魔なのだ
    だから子供が自殺しても平然と生きている
 なのに周りは私をとがめない おこらない なぜなの!!"

何ヶ月も流されるままに生きている
彼の世話を誰がしているのだろうと思いながら生きる
彼の帰りを待ちながら生きる
動く彼をみなくなってからどの位過ぎたのだろうかと思いながら
生きる事が苦しい 生きている事がつらい
"もう限界だよ"と彼にいいつつ新聞を手にした日
「いのちの電話」と云う文字が大きく、とても大きくとびこんで来た
なんなのか分からないけど"ここに電話しなければ"と
無意識に電話をしたこ� �を覚えている
"もう生きていけないかもしれない"そう告げた気がする


胸が吸い込まような女性ですか?

担当の田中さんは優しくさりげなく話をきいてくれた
そのあとも電話や手紙を何回かいただき
その中に"自死遺族の会わかちあいの会ができるから
もう少しまてる"と問いかけてくれた
私はすんでの所で"いのちの電話の田中さん"に助けられたのです
それでも生きてる事が苦しかった
その後、第一回目のわかちあいの会があった事
その会の代表の田中さんの電話番号を教えていただき
電話を入れた それでも私は、生きている自分が許せなかった
"もう駄目 明日あなたの所へ行くね"と思っていた所に
"藍の会の田中さん"から手紙が届いた
お二人は私の心を知っているのだろうかと思えるタイミングで
電話や手紙 が届くのです
その手紙には
    "子供は一生懸命生きた
     33回忌 50回のとむらいあげまで
     生きて供養してあげましょう
     子供を思い出してあげましょうね
     親しか子供を思い出してあげられるのはいないから"
と云う言葉が書いてあった
そうだ私は親だった 母親だったんだとしみじみ思った
同じように息子さんをなくしているのに
あたたかい手紙をくれた田中さんに自然と頭を下げていた
"お会いしていないけど 本当にありがとうございました"と

私は何をしているのだろう
彼のその死を受け止めてあげなければ
彼は死んでも"淋しいよ 哀しいよ 分かってよ"と
想い続けなければならない
その想いをしっかりだいてあげな ければ
分かってあげようとしなければ申し訳ないよね

トム君 幼い時の呼名で話そう
トム君はとてもかわいい赤ちゃんだった
子供のいない私の友人は"私の子供にする"と云って
離さなかった 誰からもかわいがってもらったよね
泣き虫ででも本があるとごきげんで
夢が沢山あってなりたいものが次から次へと変わる
自分に自信がありすぎて"自信過剰だよ"と注意したっけね
大人になってからはお母さんのわがままに
"しょうがないね"と付き合ってくれて
いつも穏やかで優しいトム君にあまえてばかりいた
お母さんにとっては出来すぎの息子だったよ ありがとうね
トム君は31年間本当に一生懸命生きたよね
でもお母さんは悔しい 悔しくてしょうがない
人間だもの途中失敗� �あったけど全部クリアして来たじゃない
みんな失敗してはクリアのくりかえし 生きてる人みんなそうなんだよ
ただ時には誰かの助けも必要なクリアの仕方もあったんだよね
でもトム君は誰の助けも借りなかった
誰にでもいい"助けて"と声に出してほしかった
そしてトム君が必死で訴えていた心を見つめる事が
お母さんは出来なかった ごめんね ほんとうにごめんね
人を批判する事もなく 良い所ばかりみせて
悪い所は全部自分の胸の内にしまいこんでしまった
トム君そんなの格好いい事じゃないよ
心配かけない事が親孝行じゃないよ
心配させる事だって親孝行なんだからね
トム君は最后の4ヶ月間大きな心配をさせて
お母さんは身動き出来なくて 対応しきれなかった
 こんなの� �いよ こんなのやだよ


おっぱいは私たちです。

31年間トム君は本当に一生懸命生きた そして 自死した
このふたつの事柄を同じ人間がしたとは未だに思えない
思えないけど事実 認めたくない・・・けど受け止めなければ
トム君、お母さんは悔しい 辛いよ
お母さんが死ぬ時まで"お母さん"とトム君に呼んでほしかった
そして"お帰り おつかれさん"と云い続けたかった
"ありがとう"って云いたかった

今私は藍の会に参加している
"自死遺族わかちあいのつどい"でスタッフも全員が
遺族の人々である 初めての参加は不安が沢山あって
私はずっと家から出る事ができなかったから
まず家を出る事にとても勇気が必要だった
初めて会う人々と話ができるだろう� � とか
さまざまな事を考えた ささえだったのは
"全員が自死遺族の人"それのみであった
会場にようやく着き、おそるおそる入る
そこにはスーと入れた事が不思議であり驚きだった
人の話が聞ける その人の哀しみが手に取るように分かる
そして私は迷いもなく息子の話が出来たのです
哀しさが 淋しさが 心いっぱいに溢れたのです
"ああ、私は生きていてもいいんだ"・・・と涙が流れたのです
体と心が一致し、自分の想念から解き放されたのです
お仕着せでなくあるがままに 分かったつもりでなく分かっているから
共感でき痛みが分かる 言葉では表わす事のできない
不思議な会でした そして次の日の夜 私は夢の中で
息子と会えたのです それまでどんなに願っても夢は真黒� ��まま
息子は夢でさえも私を拒否しているのかと思っていたのに
初めて夢で会えたのです

いつものように穏やかに 私と土手の上をあるきながら
話をしているのです 嬉しかった 醒めたくなかった
今でもその夢は私の記憶の中にしっかりと生きています
私は会へ出るたびに元気になれたのです
そして会へ出る事を一番喜んでくれるのが家族です
それまでの私は家族がいたことさえ気付かずに
どっぷりと自分の想念の中で生きていたのですから
家族の私への気遣いは計り知れないものだったのでしょう
そして家族もまた深い悲しみの中にいる事を知ったのです
一人ではなかなか自分の想いから脱け出せなかったし
家族といえども想いはちがう
分かってもらえないと思うと家族にさえ心を� �ざしてしまう
会の人々が"それでも頑張っている"姿を見る事によって
自分も少しでも頑張ろうと思える
会へ参加する前は自分の事しか考えていなかった
なのに自分を癒す事さえ許せなかった
参加を重ねるごとにまず自分を癒す事からと思えるようになった
自分を癒さなかったら誰の事も考えられないし周りが見えない
癒す事によって自分の心が少しずつ整理出来る様になり
整理する事によって息子の事も考えられるようになり
その想いを分かりたいと思う このまま自分を癒さず
自死した息子の事ばかり考えていたら
自分の想念の中に心をとじこめ 家族や息子の事さえも
心から追い出しまったく逃げの中に居続けていたかも
しれない 果てに同じ苦しみ哀しみを周りにあたえてしまって< br/>いたかもしれない そう思うと自分を癒す事は悪い事ではなく
一歩前に進むためには必要な事なのだろうと思う
自分を許す事もまた必要なのだろう


私は偶然にも二人の田中さんに助けられたのです
"いのちの電話"の田中さん "藍の会"の田中さん
お二人には心から感謝しております 本当にありがとうございました
それから藍の会の皆さんにも沢山の勇気をもらい助けていただきました
本当にありがとうございます
私の命は助けられて今も元気にしています
自分だけの命ではない事を心にとめて大事にしながら
生きていこうと思います

私がしなければならない事 それは息子の自死と向き合うことなのです
私は大きな大きな取り返す事の出来ない失敗をしてしまった
クリアはできないけど 誰かの手を借りてのりこえようとしています
これが生きると云う事なのかもしれません
私には彼が� �死であった事を隠す事ができないのです
なぜなら家出をしていた4ヶ月間を隠していたのですから
どの位過ぎた頃だろうか
"車を何度か見かけたけど 家出していた事知らなかったから
伝えなかった"と云われたのです
事実を周りに教えていたなら彼を救えたのにと
その後悔で頭の中がいっぱいになった
家出を隠す事が帰って来た時の彼のためと信じていたけど
本当は自分が世間体を気にしていた事に気が付いた
彼はきっと救いを求めていただろうに
母は死にものぐるいで捜してくれると信じていただろうに
そう考えると私は救える命をむざむざと見殺した事になるのです
彼から"自死した事も隠すの!!"と問われているような気がして
ならないのです 隠さない事で家族にいろいろな事があるかもしれない それでも家族は了解してくれたのです
それは"救えなかった ごめんな"の気持ちがあるからだとー。

今年の二月頃、おとなりさんが
   "水道の水もれで困ったやー
    あんちゃんが生きていれば見てもらったのになア
    なんで死んだんだやー"といいます
彼は水道設備の会社に行っていたので 近所の些細な
上下水道の故障は近所のよしみで直していたのです
おとなりさんのこの言葉はとてもあたたかく"そうだよね"と
言いつつ涙が止まりませんでした
彼の死をあたたかく認めてくれたようで 嬉しかったのです
周りの人達は一様にあたたかく彼の自死を認めている感じがします
ただ身内は冷たい
これはしようがないのでしょう。。。。。。か?
身内とはなんなのか 今は他人以上の他人と思えてなりません

自死であった事を病死や事故死のように言えたら
偏見の目がなかったら どんなに楽か
身内からも他人からも偏見の目の中で生きる事は苦しい
自分の中にも自死に対しての偏見はないのだろうか
偏見は自死だけにあるのだろうか
さまざまな事が頭の中をかけめぐる
心は日々揺れ動き続けます 些細な事に傷付き
それがどの位続くのか分からない
私の残された日々はその揺れに漂いながら終わるのかもしれない
それでもいい 息子の事を忘れる事はできないし
息子のことを話したい あなたの生きた31年間は決して
無駄ではなかったと伝えたい
もう誰にも自死などしてほしくないのです
生きて生きぬいて どんな事をして� �生きてほしいのです
一人で苦しまないで 苦しい胸の内誰かに言って
そして生きぬいてほしいのです


これから彼のために何ができるのか分からないけど
周りの人が私のようにはなりたくないと思ってくれたら
それでいいのです もしかしたらそれも自殺予防に
なるかもしれないと思うから
ゆっくり あせらず 



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